豊かな自然の中で202393日) 

モクズガニ釣り:

  宇部市の最北部に位置する小野湖ダムは、戦後建設された多目的ダムの一つです。小野湖の中央部の如意寺集落の橋の下では、菜の花の咲く春分の時期になるとカニが良く釣れました。長さ2メートルぐらいの細い竹竿の先に同じく2メートル程度のタコ糸を結びつけます。その先に餌となるサバの頭や白色のクジラ肉を括り付けて垂らして待ち続ける。しばらくすると竹竿がゆっくり引っ張られます。モクズガニが餌を食べているのです。竹竿をゆっくり引き上げ、餌に食いつているカニを確認すると、タモ網を下に入れてエサを離すモクズガニをキャッチする方法です。多い時には30尾のモクズガニを麻袋にいれて持ち帰っていました。そのカニをしばらく真水の生け簀で泥を吐かせて食べるための準備をします。食べ方は、石うすと杵で細く潰し、その汁をホウレンソウのお澄まし汁の中にいれます。すると柔らかい固まりになり、実に美味しいカニのツミレ汁が出来上がります。この料理の名称はよくわかりませんが、モクズガニのメスを加えて潰した汁を入れないとお澄ましの中で固まりはできません。その理由は不明のままです。(写真は子どもの頃にモクズガニを釣た如意寺の大日原の橋付近:今や小野湖は西日本随一のバス釣り湖に変身)

 

   麦秋の麦わら籠と蛍:

 麦秋は英語ではEarly Summerと表記されます。これは麦の穂が実り、収穫期を迎える初夏の頃を指す季節です。文字通り一冬を越した麦が熟し、収穫を待つだけの時期です。父親は実家で農業を始めてから間もなく、大変な中で二毛作の麦を栽培するようになりました。麦の刈り取りと脱穀作業はこの時期に河川敷近くの耕作地で行われていたので、私はよく父親を手伝っていました。夕方になると農地のあちこちで、収穫後の麦わらを燃やす煙がたなびく長閑な里地の原風景がありました。陽が落ちかける頃になると川端に蛍が飛び始め、夜空には満天の星がきらめく幻想的な光景が広がっていました。私は草むらに寝そべってそれを見とれていました。こんなにも美しい景色は秘密にしておきたかったと思っていたことを覚えています。収穫後には燃やす麦わらで蛍籠を編むことも得意になっていました。その蛍籠から逃がした蛍は家の庭で光り輝き、暗闇の中で灯台のようだったと感じてました。その後、そこの河川敷の少し下流の上小野集落の河原は、「蛍の里」として夏に賑わう観光地になっています。

 

 ハヤ捕りビン 

 実家の近くには清流の太田川が流れ、その少し下流に取水堰がありました。高さ2メートルほどの堰堤のすぐ下には、深さが30センチ程度の広いコンクリートで敷かれている浅いプールがありました。そこには、ハヤ、ムギツコ、ドロンバヤ、イダ、ゴリ、オヤニラミ、ホウセンボウ、ウナギなど多様性に富む魚種が生息していました。ウナギは深い穴に入り込み、なかなか捕れず、子どもの獲物はハヤででした。夏休み中の昼間の最も暑い時間帯にハエ捕りビンを仕掛けます。ハエ捕りビンの中には炒った米ぬかを一握りを入れ、よくかき混ぜ、流れの緩やかな浅いところへ仕掛けます。仕掛ける時のコツはハエ捕りビンの深くえぐれた入り口を太陽の方向に向けることと、ビンの周囲を石で囲って流されないようにすることです。230分もすると、ハエ捕りビンの中は真っ黒になるほどハヤが入ります。百匹も捕り終えると持ち帰り、天日干しにした後、囲炉裏の火にあぶったり、つくだ煮にします。川魚の生臭さはなく、美味しくいただいていました。真夏の焼け付く瓦の上で天日干しにするのもコツの一つでした。(写真はハヤ捕りビン)

 

 ウナギ籠 

 実家近くの太田川本流の浅瀬にウナギ籠を仕掛けて遊んだ。ウナギ籠(写真)に入れる餌は大きなミミズ20尾くらいか、またはハヤ10尾ぐらいである。餌にハヤを使用する際には、ハヤが疲労しないように、少量のイネ科の草を入れる。ウナギは夜中に浅瀬を上流に向かって進むので、膝位の深さの浅瀬にウナギの入り口を下流に向けて置き、籠の上には近くの石を積み上げ、ウナギの寝床に見せかける。餌の匂いを下流に流すために籠のお尻の部分は川の水が流れ込むように石を置かない。通称「鳥の出口」へ流れ出る支流へウナギ籠を沈める際にも流れの有る浅い瀬に沈めていた。支流の幅は23mの小さな支流なので、比較的楽に沈めることができていた。回収は朝方であり、眠い目をこすりながら、つけ置いた場所へと急いだ。ウナギ籠を上げた瞬間に入っているか入っていないかを判断できた。入っているときのウナギ籠の重さはずっしり重く、すぐにわかる。そんなにたくさん捕れるわけではなく、ひと夏に23尾捕れれば良い方であった。

 

夏の海水浴と潮干狩り 

 実家のある下宇内集落の夏のイベントの一つに、瀬戸内海に面した阿知須や西岐波(写真は干潮時の遠浅の阿知須付近)への潮干狩りと海水浴がありました。小学校2年生から5年生頃までの4回ほど参加したとても楽しい思い出です。今なら観光バスで移動するかもしれませんが、当時の移動手段は大型トラックの荷台に乗って移動していました。集落からの参加者は50人ぐらいで、トラックの荷台はとても狭く、今では到底考えられない危険極まりない交通違反の移動手段でした。海水浴場の松林にテントを張り、各自持参した敷物などを敷き詰め、お弁当を食べる場所や着がえなどの場所にしていました。遠浅の瀬戸内海の7月下旬の午後は遠くまで干上がり、年に一度の潮干狩りに親たちは麻袋一杯になるまでアサリを採取していました。潮が引くまでの午前中の海は泳げるのだけど、いつも川で泳いでいる子どもたちは広い海に戸惑っている様子でした。潮が満ちてくる午後3時ごろになると、また乗ってきたトラックへ、重いアサリを積み込み、お酒も入り賑やかな帰路でした。

 

 ヤスで突くウナギ捕り:

 夏の水浴びは実家近くの河原でした。その河原は「三吉」という場所でしたが、その少し上流に「とんとん」と呼ばれる深い淵がありました。中国の桂林ほどではありませんが、岩にマツが生えているきれいな場所です。そこの岩までたどり着くには、200メートルぐらいの間を泳ぎ切らないとなりません。岩の高さは5メートルぐらいあります。その岩から飛び込むことができるかどうかを競っていました。その岩から少し上流は川幅が狭くなり、水深も45メートになり、深い割には流れの有る狭い谷底のような箇所に、ウナギが上流を向いてかま首を持ち上げているのです。その背後からヤスで首当たりを狙って撃ち放ち、ウナギを捕るという方法です。45メートル潜ってヤスで突き刺すだけだと思っていましたが、その場所へたどり着くまでの冒険心や神秘的な場所での潜水は子ども心を高ぶらせ、ドキドキしながら楽しんでいました。飛び込み岩の前方付近には最も深い淵がありました。深さは10メートルぐらいあったそうです。私は残念ながら、そこを潜ることさえチャレンジしたことがありませんでした。近所の先輩は、そこに潜るとさらに奥につながる洞窟のようなものが有るといっていました。写真は昔使用した、水中デッポウです。裏庭の竹を利用して、自転車のスポークとタイヤゴムで子どもの頃使用していたヤスを作ってみました。

 

 夏の楽しみ: 

 夏休み中のお昼前になると自転車の荷台に大きな青色の箱を積んだアイスキャンディー屋さんがチリーンチリーンと鐘を鳴らしながらやってきていました。実家の裏の県道は緩やかな上り坂のため、自転車の速度は急に遅くなり、走ってアイスキャンディーを買いに行っていました。そのボックスには2種類のアイスキャンディーが入っていました。一つは青い色のソーダ味で、もう一つはあずき色のあずき味でした。どちらも110円だったように記憶していますが、なぜか親は、あずきはダメだと言って買ってくれませんでした。もう一つ不思議に思う点は、そのアイスキャンディー屋さんにはアイスクリームを持っていなかったことです。あずきがダメだった理由は夏の疲れた体にはあずきは腹痛を起こすからだろうか。アイスクリームは乳製品であり、アイスキャンディーより高価で、田舎では需要がなかったのだろうか、未だ気になる疑問です。昼食後に30分間のお昼寝をしなければ外にでかけられませんでした。昼寝後は、近くの太田川の河原の少し深みのある三吉で、集落の子供たち20人ぐらいで水浴びを楽しみました。当番で近所の親が監視員として見張ってくれていました。子どもたちは近くの畑からとれたアジウリを河原の水に冷やして、泳いだ後にに食べました。